ここに私の略歴を記します。
XXXX年 日本の片田舎に生まれ、自然豊かな街で育ちました(ちょうどラクイラのような)。
幼少期 両親は教育熱心で、特に英語教育に力を入れていました。そしていろいろな自由を認めてくれ、「教室だけが世界じゃない」といったことをくり返し教えてくれました。
学生時代 両親の教育のおかげで、英語の成績は上位でした。BBCニュースなどの英語のニュースを毎日読むなど、国際情勢に関心がありました。部活は英語部で、地元で行われた英語のスピーチコンテストで優勝したこともあります。
2008年 はじめての海外旅行をしました。行き先は韓国でした。たった5日間の旅行でしたが、日本とは違った世界があることを知り、海外に興味を持つようになりました。
2009年 4月6日の地震の当時は私は身体的な持病により入院中でした。そのため地震のことは全く覚えていません。
2011年 東日本大震災で被災しました。私は当時学生でした。その当時、国内外からたくさんの援助を受け、それから国内外の「防災」について関心を持ちました。詳しくはこちらに体験記を書いてあります。
2012年 イタリアでまた地震が起きましたが、私は当時ものすごく多忙で体調不良でしたので、報道を見ていませんでした。
2014年 体調を崩し、病院で自律神経失調症と診断されました。
2015年 イタリア各地(ミラノ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ジェノヴァ、ローマ、ナポリ、アマルフィ海岸など)を8日間に渡り旅行しました。当時は「ただの旅行好き」で、イタリアには特に深い思い入れはありませんでした。ちなみに私は当時被災地には行っていません。
2016年 地震が起きました。当時私は持病で自宅にいることが多く、毎日ニュースを見ていました。あまりにも悲劇的な映像に私は衝撃を受け、2011年の東日本大震災の記憶がよみがえりました。そして私は被災地の復興が進んでいないことやイタリアの防災対策が不十分であることなどを知り、「イタリア語を学んで被災地に行き、被災者支援をしたい!」と思うようになりました。そしてその「事業」がうまくいったら、日本にも何か貢献したいと思っていますが、当時は「何をしたいか」まで明確ではありませんでした。
2017年 地震から1年が経った日、記事などを読んでいた際、2009年の地震のことを知りました。それ以後、ラクイラという街の観光地としてのすばらしさ、そしてaquilani(ラクイラの住民)の優しさ、街の輝くべき歴史などラクイラのすべてに魅了されました。
2018年 ラクイラに住む優しい友人たちができ、またTwitterやFacebookなどを通じて、イタリア人の友人ができました。彼らの力を借り、また彼らから最新情報をもらって、今日も「ラクイラ愛好会」の翻訳・発信活動は続いています。
「興味を持った」という表現は適切ではありませんが……。
その理由はいくつかあります。
まず、私自身が東日本大震災を被災していたため、地震というものがどれだけ大変なものか、そして怖いものかを知っていたからです。
自宅は幸いすぐに再建することができましたが、知り合いに自宅や家族を失った人がいます。
何よりもあの日、私の住む日本の片田舎はとても寒かったのです。
その寒かった日に、避難所に行くと、あたたかい飲み物や食べ物があった。
それを口に入れることで、心まで温まる気がしたのです。
そして避難所にいる知人たちが「星空が綺麗だよ」と教えてくれ、見上げた空は少し曇っていましたが、本当に綺麗でした。
詳しくはこちらに書きました。
https://te2ha.hateblo.jp/entry/2018/11/26/212318
次に、私が2015年にイタリアを旅行していたことです。
そこでたくさんの人たちに出会い、おいしい料理を食べ、素晴らしい景色を見ました。
そのあとで地震が起きたので、「私の行った国がこんなことになっているとは……」と、ショックを隠せませんでした。
さらに、私が教育熱心な両親に育てられたことです。
教育熱心な両親は、「教室だけが世界じゃない」と言い、学校に行くのがしんどくなったとき(思春期からあった自律神経失調症による)は、休ませてもくれました。
今思えばあの休息の時間は絶対に必要でした。
そして、国内外を旅行させてくれ、素晴らしい景色やおいしい食べ物、そして何よりもたくさんの人に会う機会を作ってくれました。
両親とは思春期に喧嘩もしましたが、今では良い関係を築けています。
その旅行先で私が毎度感じたことは、「教室だけが世界じゃなく、この世界はとても可能性にあふれた広い場所であるということ」です。
最後に、ラクイラ大学(地震により学生寮が倒壊した大学)のとあるウェブサイト(※調べれば出てきますが、あえて私はそれをここには載せません)を見て、人間はみな同じ気持ちを持っているという当たり前のことに気付いたからです。
彼らの発信した言葉は、私が東日本大震災を経験した時のそれや、私の周りにいる多くの東日本大震災の被災者と言っているそれとほとんど同じです。
そして私たちは悲しみや苦しみを分かち合えるとその時に確信したからです。
私達が地震によって抱えた例えようのない苦しみや悲しみ、孤独、そして喪失……それらは国が変わったとしても、言葉が違うとしても、私たちは分かち合い、分かり合うことができる……そう強く、このサイトを見て気づいたからです。
さらにひとつ付け加えるとすれば、私の友人達の「心の復興」が進んでいないことも、イタリアに行きたいと思うようになった理由です。
以下はラクイラに住む友人達の言葉です。
「地震があるたびに私の心は4月6日に戻ってしまう」
「間もなく10年が経とうとしているが、心の傷はまだ私の中にあり、それが癒えることはないと思う」
さらに、2016年の地震を被災した友人達はこう言っています。
「私は恐怖とともに生きている。それは地震から2年が経とうと変わらない」
「震災の起きた日が近づいているが、それだけで私の心はひどく痛む。あの日の悲しかった出来事がよみがえる」
これは日本でもイタリアでも、変わらない苦しみであると思うのです。